子供ってカルピスが大好きですよね。
我が家の息子達は取り合いのケンカになりながら飲んでいます。
私が幼い頃は、瓶に入ったカルピスで自分たちでベストな濃さに調整するのが楽しみでした。
最近では、育児に追われ余裕がないことも多々あり、そんな中子供達がそのまま飲めるように商品も様々取り揃えられ手間いらずで助かりますよね。
今回は、そんなカルピスについてご紹介しますね。
カルピスの始まりとは
カルピスの創業者は、三島海雲(みしま かいうん)。
現在の大阪府箕面市にあるの浄土真宗本願寺派水稲山教学寺の住職の息子として生まれます。
海雲は、西本願寺文学寮(今の龍谷大学)を卒業すると英語教師として山口県の中学校へ赴任しますが、その職を辞し、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しました。
入学して間もなくすると、大学から中国へ渡ることをすすめられます。
そして、24歳の時に中国大陸へ渡り、馬車を引き中国の大陸各地で雑貨等を販売して回りました。
日露戦争が始まり、日本軍部から軍馬調達の指名を受け、内モンゴルへと調達に訪れることが多くなりました。
しかし、現地で体調を崩し、ついに倒れて瀕死の状態に陥ってしまいます。
その時に、海雲は現地の人にすすめられるがままに酸乳(発酵乳)を飲み続けたそうです。
・・・すると見事に回復を果たすことに。
このことを後に「異郷の地で不老長寿の霊薬に出合った思い」と記しています。
やがて、日露戦争は終息を迎え海雲は日本へと帰国します。
帰国した海雲は、あの時モンゴルで飲んだ酸乳(発酵乳)を、日本でも作ることができないだろうかと考え研究を始めました。
ちなみに、その時の試作品は、お寺の檀家さんに飲んでもらって感想を聞いて回ったそうです。
- 乳酸菌で発酵させたクリーム『醍醐味』
- 醍醐味の製造過程で残る脱脂乳を乳酸菌で発酵させた『醍醐素』
- 生きた乳酸菌が入った『ラクトーキャラメル』
試行錯誤を繰り返し、ついに「醍醐素」を改良したおいしくて体に良い飲み物『カルピス』が完成します。
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海雲は「カルピス」の本質は、
- おいしいこと
- 滋養になること
- 安心感のあること
- 経済的であること
の4つだと伝えています。
1919年7月7日の七夕の日に「カルピス」の販売が開始されました。
「カル」はカルシウム、「ピス」は美味しさを表すサンスクリット語から命名されています。
水玉のデザインは天の川を連想させるようなデザインとなっています。
また、清純で美しく、夢や希望・憧れを表した『初恋の味』と銘打ちまたたく間に広がりを見せていきました。
現在も、大人から子供まで愛される国民的飲料となっています。
ひなまつりプレゼント
海雲は、関東大震災の際に被災された人々へ無料で冷たい「カルピス」を配って歩きました。
自身の財を投じて奉仕をする活動はこれに留まらず、現在も『ひなまつりプレゼント』として海雲なき後も続けられています。
これは、「白酒に似た白い色の『カルピス』で乾杯して、子供達もひなまつりを楽しんでほしい」と願った海雲の取り組みで、全国の幼稚園や保育園の園児たちに「カルピス」をプレゼントされているのです。
現在では、園児一人に一杯の「カルピス」とミニ絵本が配布され、2018年で1億2600万人以上の子どもたちにプレゼントしています。
おかげで、我が家の息子もこのミニ絵本をいただきました!
蛇口からカルピス
水道の蛇口をひねったら水じゃなくカルピスが出てきた!
なんて想像したら嬉しくなっちゃいますよね。
実は、そんなイベントが開催されるんです。
「カルピス」の発売100周年を記念して、全国に9か所設置されます。
小学生以下の子どもが対象で、1人1杯が無料でいただけます。
蛇口から、カルピスが出る驚きをぜひ我が子にも体験させたいですよね。
まとめ
今回は、皆が大好きなカルピスについてご紹介しました。
イベントでは、蛇口をひねるとカルピスが出て来るなんて子供達は大喜びですよね。
対象は、小学生以下のお子さんに限られるので大人も楽しみたいところですがそこは我慢ですね。
カルピスは、大正時代から続いている「カルピス菌」の原液を注ぎ足して作り続けているそうです。
このカルピス菌が無くなってしまったらカルピスが作れなくなってしまうため、戦時中もこのカルピス菌を疎開させていたそうです。
昔から変わらず品質・味を大事に守り続けるからこそこんなにも多くの人々から愛され続けているのでしょうね。
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