毎年母の日に贈り物は何にしようかと迷われている方が多いのではないでしょうか。
私も母になるまで子供たちから何かしてもらえるなんて思ってもいませんでした。
初めて息子から母の日にもらったのは息子が手作りしたプレゼントです。
それがとてもうれしくて息子の成長ぶりも含め嬉しくて泣けてきました。
今日は、母の日についてと、母の日に贈る手作りプレゼントをご紹介します。
母の日とは
日本では毎年5月の第二日曜日を母の日としてお母さんに感謝の気持ちを伝えます。

この日にお手伝いをしたり、プレゼントを贈ったりなどをして母に感謝を伝えてみるのもいいでしょう。
母の日の始まりとは
南北戦争終結後の1870年アメリカ
女性政治家の「ジュリア・ウォード・ハウ」さんが今後夫や子ども達を戦場に送り出すのを拒否しようと「母の日宣言(Mother’s Day Proclamation)」を出しました。
これは、南北戦争中に「アン・ジャービス」さんが、敵味方問わずに負傷した兵士の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させた運動を「母の仕事の日(Mother’s Work Days)」としていたのをヒントに宣言したものでしたが、結局普及することはありませんでした。
アンさんが亡くなった2年後
1907年5月12日に娘のアンナさんは、亡き母を思い母が生前に教師をしていた日曜学校の教会で記念会を設けアンさんの好きな白いカーネーションを祭壇に飾りました。
アンナさんの母を思う気持ちは人々に感動をもたらし、人々は母を思う大切さを認識しました。
1908年5月10日
教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝いました。
その時にもアンナさんは白いカーネーションを出席者全員に手渡しました。
このことで、白いカーネーションが母の日のシンボルとなったのです。
アンナさんは友人たちに「母の日」を国中で祝うことを提案しました。
1914年
「母の日」はアメリカ合衆国で記念日となり、5月の第2日曜日と定められたのでした。
日本での普及は
1913年大正時代
青山学院で、母の日の礼拝が行われました。
アンナさんから青山学院にメッセージが届き、当時の青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、「母の日」が定着するきっかけとなりました。
1937年(昭和12年)5月8日
キョロちゃんで有名な「森永製菓」さんが第1回「森永母の日大会」を豊島園で開催しました。
1949年(昭和24年)ごろから
アメリカにならって5月の第2日曜日に母の日の行事が行われるようになっていきました。
母の日に贈ってあげよう手作りプレゼント

母の日には、お金の掛かったプレゼントもママは受け付けています(笑)
が、そこはパパに任せておきましょう!
今回はお金が掛からなくても心のこもった制作をプレゼントしてみましょう!
手形のカーネーション
- 画用紙
- ストロー
- 包装紙
- セロハンテープ
- リボン
- クレヨン
- 手形用のスタンプ
- お手拭きなど手形を押した後に拭くもの
茎になるのはストローです。
クレヨンでがくを書いてその部分にストローを付けます。
包装紙で周りを包んで、
リボンやシールなど飾りを付けて出来上がりです。
手形でぞうさんアートの贈り物
- 画用紙
- クレヨン
- 手形用のスタンプ
- お手拭きなど手形を押した後に拭くもの
ママへのメッセージを入れたり、額に入れたりと
いろいろアレンジしてみてくださいね。

まとめ
- 日本では毎年5月の第二日曜日を母の日としてお母さんに感謝の気持ちを伝えます。
- 1870年アメリカで女性政治家の「ジュリア・ウォード・ハウ」さんが今後夫や子ども達を戦場に送り出すのを拒否しようと「母の日宣言(Mother’s Day Proclamation)」を出しましたが、普及することはありませんでした。
- 1907年アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、白いカーネーションを祭壇へ飾りました。翌年フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配り母の日を祝いました。
- 日本では、1949年(昭和24年)ごろからアメリカにならって5月の第2日曜日に母の日の行事が行われるようになっていきました。
今回は、母の日についてご紹介しました。母は子供の成長が一番の楽しみですので、最近がんばっていることを話してくれるだけで嬉しいもの。
ぜひ、母の日には親子でたのしく過ごしていただきたいです。
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